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「俗流の反グローバリズム」と「意識の高さ」では見えてこないもの──「グローバリズム」や「意識の低さ」を非難する前に

前回のエントリで取り上げた俗流の反グローバリズムと排外主義について、もう暫く説明しておきたい。月末には行われる都知事選にはかの田母神俊雄が出馬するそうだが、その田母神自身ばかりか推薦している面々に反TPPの論客が目立っているなど、この問題は喫緊かつ根深いものだと思うからだ。

まず、株主の「多国籍化」を指摘する者が「ヘイトスピーチ」だと極論するつもりは毛頭無い。しかし株主(に加えて資本や経営陣・従業員)が「多国籍化」することへの反発や敵意が兎角「ヘイトスピーチ」をする側から発せられている一面の事実は無視できないし、こと経済的な言説に限っても例えば中韓両国の経済的「崩壊」を煽りながら日本経済最強論を打っている三橋貴明が、その手の連中に支持されたりしている。加えてそうした「多国籍化」への脅威を煽って、例えば「外資が水源地を狙っている!日本の水が危ない!!」(水源関係の法規を熟知していればウソは解る筈なのだが)と煽っては金銭を巻き上げる詐欺的な商法まで横行する事態にまでなっているのだ。

そして、こうした「ヘイトスピーチ」を批判する側も実のところ「排外主義」的な言動をやっていたりするのも最近時に目立ったりする。例えば、かの内田樹は自著でこんなことを述べているのだ。

「国富を私財に移し替えることに熱心な人間、公共の福利よりも私利私欲を優先する人間を当の国家が全力で支援する。それが今、アメリカでも中国でも日本でも、そしておそらく韓国で起きていることの実相です(『下流志向』韓国語版序文 内田樹の研究室)」http://t.co/i2DwTwowFq

勘が良い人ならば、この主張の一端に「排外主義」を見い出すのは左程難しくは無いだろう。黒木玄氏は「最近の彼の議論は『日本は文化的に鎖国すれば良い』というテーゼに集約してしまう。これは、現在のままでの繁栄を享受し続けたい人達には心地よく響く」 http://linkis.com/blog.so-net.ne.jp/M1Vu と指摘しているが、一見してグローバル化の弊害を説きながら、その実かつての日本的社会(その中には「日本的経営」とか「日本的会社社会」も含まれるのだが)を美化する内田の言動は「排外主義」の傾向を撃つばかりか助け舟を出している様に自分は見る。そもそも内田は、日本国憲法をアメリカによる日本支配の道具と全面的に否定 http://blog.tatsuru.com/archives/001475.php し、菅首相による浜岡原発の停止をエネルギーの自立を阻むアメリカの陰謀!とまで言う http://blog.tatsuru.com/2011/05/20_0900.php 御仁だ。内田自身は「保守左派」を自称しているものの、兎角内田の言説は(『赤旗』をはじめ)「リベラル・左派」に好意的に受け止められている。でも、こういう言動の何処が「リベラル・左派」なんだろうか?

こうした「多国籍化」を否定的に見る言動が(「ヘイトスピーチ」に批判的な)「リベラル」にまで浸透し「排外主義」とも少なからず重なっていることの背景には、「日本的経営」が崩壊し多くのワーキングプアや失業者を生んでいるという「現実」もあるし、グローバルな圧力で国内の労働現場がシバかれているという「実感」もそうした言動に説得力を持たせている。しかしながら、その様なミクロやマクロの環境悪化を奇貨として労働現場をシバく様なことは、別段グローバル化が進んだ時分になって起きたことではない。かつて1970年代末頃から1980年代半ばにかけて日本製の鉄鋼・自動車や電機などがアメリカ市場を席巻し、多くのアメリカ企業で工場閉鎖や解雇が起きた。日本製品をぶち壊すと言うパフォーマンスは全米各地で行われ、日本のマスコミでも取り上げられたくらいだ(こうした「歴史」を知れば、今日本で起きていることは以前のアメリカの二の轍だということが理解できるだろう)。

こうした「日米経済摩擦」は、あることを切っ掛けとして急変する。いわゆるプラザ合意とそれに伴う円高ドル安だ。これで輸出産業が景気を引っ張ってきた日本経済は苦境に陥り、国内の下請けや地方の工場なんかでは「俺達の要求通りコスト削減などに応じなければ、お前らの仕事は海外へ持って行くぞ」と脅しをかけられたりされるのは常だった。「絶えずグローバル経営者から『日本工場はいつでもつぶすぞ』というような空気が感じられる」と言うことは、こと反グローバル化の言説で言われていたりされることだが、こうした「空気」はグローバル化以前の例えばニクソンショックや石油ショック・円高不況などでも、さらには個々の会社の経営不振によって何時でも生まれていた「空気」だったのである。その一方ではアメリカ企業が少なからず日本資本の手に落ち、下請けまで丸ごと日本企業がアメリカに工場を建てて進出したりすることもあった。不動産の買収も多く「日本はアメリカを買い占めるつもりか!?」と騒がれ、『来る日米再戦──"第二次太平洋戦争"は不可避だ』http://amzn.to/1cRr0oP って本がベストセラーになったくらいだ。

もっとも内需拡大政策という名のバブル景気により円高不況のシバきは余り目立たなくなったが、そのバブルも崩壊し大量の不良債権を抱え込んだ金融機関は貸し渋りに走った。投機に走った虚業ばかりかまともに商工業をやっていた様な実業でさえも打撃を受け、倒産が多発した。その時「救世主」として名乗りを上げたのが他ならぬ外資だった訳だが、それさえも「ハゲタカ」という非難が起きた。しかしながら外資が手を差し伸べたことに由り、多くの企業が事業を続けることが出来た事実は無視できない。「外資の助けが無ければ誰からも見向きもされずに潰れるのが好かったのか?」って問いに、どれだけの人が反論できるだろうか?

もう一つ、外資──というより「多国籍化」によって批判を受けたものがある。それが「日本的経営」だった。国内の企業集団や金融機関が互いに株式を持ち合い、経営陣に問題があったとしても(相当マスコミで騒がれでもしない限り)殆ど非難されることは無い。保養施設や研修施設が経営陣の私的別荘みたいに使われたとしても、過労死や環境破壊が起ころうと(個々の裁判で賠償金を取られたりすることはあっても)経営陣は安泰だったりしたのが常だった。それがバブル崩壊に伴い内輪で固まって無責任と批判されたり、会社本位で個々の従業員への分配は低かったりするなど、外資ばかりか市民団体・メディアにまで「日本的経営」は批判の俎上に上ったりしたのである。

こうしたバブル崩壊による「日本的経営」への批判が一方では企業批判を盛んにし「企業は社会の公器」という認識を広く世間に広めたとも言えるが、一方ではこれを奇貨として例えば一部エリート専門職への厚遇と一般労働者の非正規化とか、これまでは抑えられていた経済・労働関係の規制を緩めビジネスチャンスを創る(「起業し易い国へ!」)ということになった。それが何を齎したかは今更言及する必要もあるまい。ところが解雇一つ取ってみてもアメリカでは先任権や契約条項でかなり細かく規定や規制があるし、労働組合でさえ産別組合であったりして「同一労働同一賃金」が徹底している。欧州にしても労使に加えて政府が交えて労働条件などを取り決めていたりする。「日本は正社員の解雇が一番難しい」http://jyoshige.livedoor.biz/archives/7005871.html と城繁幸が言及しているが、実際にOECDのデータにあたると、日本は社員を解雇し易い国だったりする http://www.anlyznews.com/2013/12/blog-post_23.html?m=0 のである。

俗流の反グローバリズムや「多国籍化」への反感は、こうした問題を明らかにするばかりか覆い隠す効果しか持ち得ない。シバきや格差問題は全てグローバル化の問題として片づけられてしまい、例えば国内における労働者と使用者・大企業と中小や自営業者などに横たわる利害の対立や得失については無視されてしまう。悪いのは自分たちとは違う"余所者"ということになり、そこから「排外主義」さらにはファシズムへと至るのはそう遠くない距離にある。濱口桂一郎が、TPP反対の集会に出なかったことで不当に解雇された事例 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-20e9.html を取り上げたが、俗流の反グローバリズムを信じてしまうとこうした一面は見えなくなってしまう。

最後に一点、指摘しておきたい点がある。「企業は社会の公器」ということは最近殊に強調されてはいるし、自分も頭からそれを全否定するつもりはない(前エントリで取り上げた「社会的責任投資」なんてそれが背景となっている訳だし)。しかしながら、それを矢鱈強調することで、例えば社会政策や経済政策で無ければ解決し得ない問題でさえ企業や経営陣の(最近流行の言葉を使うなら)「意識の高さ」で解決できてしまう幻想を持たせ、結果として本質的な解決を遠ざける危うさがある。例えばある集会で「企業の長期的な成長を考えないで、ひたすら労働賃金を引き下げている」 http://socialmovementunionism.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html という発言があったが、確かに人件費の切り下げはある意味手っ取り早い企業経営の改善策ではあろう。また労働法学者の野川忍教授は以下の様に指摘している。

https://twitter.com/theophil21/status/397573047743295490

「英エコノミスト誌によれば、全世界において国民所得における労働分配率は下がり続けている。日本も、1970年後半には75%を超えていた労働分配率は、現在60%を切ろうとしている」


https://twitter.com/theophil21/status/397577765215424512

「米英も労働分配率は下がり続けているが、ドイツは70%前後で40年間ほぼ一定である。その背後には多くの要因があり、また労働分配率が高いことで経済の質の全てが測れるわけではない。しかし、少なくとも、ドイツの労働生産性の高さと労働分配率の高さとは注目に値する」


なるほど、こうした「意識の高さ」に訴えつつデータを提示して「分配率が高ければ労働生産性が良くなり企業も・・・」と主張するのは説得力を持つ。だが、好待遇によって生産性を高め企業の業績を好くするってのも「長期的な成長」を見据えたことだろうが、労働生産性を高めるには教育などの手間もあるし何より成長市場では消費者の所得が低い以上余りコストをかけずに巧い具合に経営を切り盛りしようってのも「長期的な成長」を見据えたことと言えてしまう。このブログでは「内部留保」というのも評判が悪いが、仮にも「長期的」って視点が加わると「内部留保」を批判するのは難しくなる(実際、アマゾンが数あるネットベンチャーで生き残れたのは内部留保で手元のキャッシュを多く確保したから、その後のネットバブル崩壊を乗り切れたって指摘もある)。予想しえない様な不確実な事態に備えて手許に留保分を多く所有することに就いて云々するのは、仮にも「短期的な利益」を優先する立場なら配当に回せ!ってことになるし、或いは景気がいいんだから分配しろ!ってことにもなってしまう。「短期的な利益」で企業が労働者をシバいている現状があるからとはいえ、「長期的視点」になればその状況が変わるというのは希望的観測というか幻想に近い。

「企業は慈善事業ではない」企業批判が起こる度に手垢がつくくらい使われる言い訳ではあるが、幾ら理想論を述べたところで本質的に企業は私利を追及する(ことで社会に利益を還元する)組織であると言うことを念頭に置かなければならない。近視眼的な経営を批判することも「社会の公器」であることを強調することも構わないが、しかし利益を追及する組織という本質を見失って「意識の高さ」を強調したところで、例えば古市憲寿の「牛丼やファストフードのチェーンは、じつは日本型の福祉の1つだと思います・・・・・すごく安いランチや洋服があって、あまりお金をかけずに暮らしていけます。つまり日本では企業がサービスという形で福祉を実現しているともいえる」 http://president.jp/articles/-/11364?page=4 という詭弁とかに太刀打ちは出来る筈がない。ブラック企業だろうがなんだろうが、自分に見返りがあれば「よい企業」だと思っている「意識の低い」のを非難するのは容易い。しかし、そうした問題を例えば法規制や政策の不備・マクロやミクロの経済的な要因に向かわず、ともすれば「意識」の問題に矮小化してしまうことは、現に見返りを得ている面々──それは往々にして低所得層だったりもする──を納得させることが出来ようか?いわゆるLOHASとか「意識の高い」論者が、それでどんだけ稼ぎまくっているのかを一度考えてみては如何だろうか?

【杉山真大@震災被災者】

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大企業批判は「排外主義」の罠に陥っていないか?──俗流の反グローバリズムで問題は解決できない

昨年ユーキャンがやった流行語大賞、甲乙つけがたく「倍返し」「じぇじぇじぇ」など4つが大賞にエントリーされてたそうだが、その中に「ヘイトスピーチ」というのがノミネートされていたのは余り注目されていないのかも知れない。

まぁ、在特会だの行動する何鱈などが文章にするくらい悍ましい差別的言辞を吐くのが、マスコミにまで取り上げられ流行語にさえなったのは一歩前進(?)なのかも知れないが、こうした「ヘイトスピーチ」と同様に自分たちと違うと思う連中を兎に角排除したがる性向=「排外主義」(ショービニズム)ってのは、(以前から根があったとは思うが)ここへ来て結構あちこちで目につく様になっている。

何故こんなことを指摘したのかと言えば、ここ最近大企業優遇への批判に絡ませて株主の「多国籍化」ってことが指摘されていたのが気になったのだ。曰く「外国人投資家であれば、日本の将来などどうでもよく、日本人労働者をリストラして出した利益を自分達のものにしたら、あとは使い捨ててもよい程度に考えているかもしれない」成る程。確かにそれは一面の真実ではあるのだろう。こと経済のグローバル化とかやらで大多数の人間が苦境に陥っている現実を思えば、説得力を持ったりもする。

しかし、中国・韓国と外交や領土問題などギクシャクする一方、他方で「対米追従」を非難する動きも盛んとなり、ウヨ・サヨ問わず「排外主義」の風潮が何時の間にか受け入れられつつある観がある様に自分には思えるのだ。

しかしながら、だ。そもそもその外国人投資家というのか「多国籍化」した株主ってのは、果たして誰が出した金なのかってのまで考えると、実は日本人の金でしたってのは結構あり得る話だったりする。店頭で売られていたりするファンドの目論見書とかを読むと判るが、そうしたファンドの所在地は実は日本国内で無かったってのは結構あったりするし、そういう「外国籍」の金融商品を買ったりしている金融機関やら年金基金やらも少なくない。まさにおゼニは巡り巡って一蓮托生だったりする訳だ。

まぁ、仮にそうしたことを認めた上で、だから「外国人投資家であれば、日本の将来などどうでもよく利益を自分達のものにしたら、あとは使い捨ててもよい程度に考えている」って言うのが何が悪い!ってことになるのだが、それとても果たして日本人だったらそんなに温情(?)なことをやっていたか?というのには疑問符がついてしまう。

例えば、投資相手の労働条件や環境対策など所謂企業の社会的責任に鑑みた「社会的責任投資」に先鞭をつけたのはアメリカだった。かつての朝日ジャーナルでもその「社会的責任投資」を担う市民団体が取り上げられていたが、その中には「アパルトヘイト政策をとる南アフリカとの取引」(!)って項目があり、それこそ昨日今日のぽっと出ではない時間の蓄積を感じられてしまう。そればかりか、バブル期の日本企業は「社会的責任投資」では槍玉に上がることすら多く、訴訟を起こされたり賠償金を課されたりすることさえあったのだ。

翻って日本企業を見てみよう。小泉の「聖域なき構造改革」以前の御時世では、日本企業は大概内輪で株式を持合っていて外資が割り込もうものならそれこそ官民挙げての(それも表立ってではない強かなやり方で)排除に動くのが常だった。じゃぁ、日本企業に問題は起きなかったか?公害は?過労死は?みんな日本企業で起こったことだ。もっとも「構造改革」を経てこうした状況には変化が起き、ご指摘の通り株主の「多国籍化」は進んでいる。ならば、仮にこうした「多国籍化」に歯止めをかけ日本人投資家ばかりになれば日本の将来を考えてくれるってなるだろうか?到底そうは思えない。内田樹センセ曰く「辺境国家」日本のこと、矢張り内輪の論理でなぁなぁとなり、下手すると今よりも状況が悪くなりこそすれ良くはなるとは考え難い。

昨今、世界を不幸にするグローバル化とかいう現実が多くの人々に知られてきた反動だからか、いわば反グローバリズム(ポスト・グローバリズム)とか保守左派とかの看板を纏って、欧米なら間違いなく排外主義や新右翼の主張みたいなのが結構受け入れられたりする(前述の内田なぞその典型だ)のだが、そういう人達に自分はこう質してみたい。


「あなた方が兎角非難している所謂『ブラック企業』の多くは、株主も経営陣も果てはお客様まで日本人だけなのが多数派ですけど?」

【杉山真大@震災被災者】


[編集部より]
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「鍋党コミュ」、正式名称「鍋党~再分配を重視する市民の会」は随時参加者を募集しております。コミュ参加は承認制ですが、必要な資格思想信条その他は一切なく、参加申請いただいた方には事実上無条件で参加を承認しておりますので、どうぞお気軽にご参加下さい。また、当ブログの記事は「鍋党コミュ」参加者でなくても投稿可能です。コメント欄に、投稿希望の旨お書き添えの上、原稿をお送りいただければ是非掲載したく存じます。コメント欄には、管理者のみ閲覧可能のオプションもございます。我こそはと思う方の意欲的な投稿をお待ちしております。

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99%と53%の間

アメリカ大統領選が終わった。大統領選の結果については町山智浩氏の一連のコメント が巧いこと的を射ていると思うので、この場で改めて言及する必要もあるまい。

ところで敗北したロムニー・前マサチューセッツ州知事だが、こんな発言をしていたのを覚えているだろうか?

「47%の有権者は、何があっても(オバマ)大統領に投票するだろう。(オバマ大統領を支持し続ける)これらの47%の有権者は、政府に頼りきっている…」

ロムニーが支持者との内輪の会合で口にした発言で、当然ながらオバマ陣営や民主党・その他諸々のリベラル派と言われる面々まで批判を受ける格好となったのだが、ここで何故に「47%」と言うのが唐突に出てきたのか引っかかった方々は少なくないのではないだろうか?

件の発言は、こう続いている。

「彼らは所得税を払っていない人たちだ…私はこうした人たちを心配しない」

これは一面的ではあるが、事実である。Tax Policy Centerの調査 によると、連邦所得税を負担していない世帯が2011年で46.4%にも上るという。無論、現実には所得税ばかりか給与からの源泉徴収とか付加価値税とかを課されたりしている訳なので税金を”全く”払わない世帯が半数近くってことは考え難いし、いわばロムニー氏が言う様な「たかり」って批判自体が真っ赤なウソだったりもする(例えば 「ロムニー、国民の47%を「たかり」呼ばわり」「アメリカNOW 第97号 ロムニー候補の「47%発言」と米国の税・財政制度 (安井明彦)」 )。それでも、このレトリックは人気があるそうで、かの「ウォール街を占拠せよ!」って運動で「(富める)1%Vs.(貧しい)99%」ってのが盛んに言われていた最中、それに対抗して「(納税している)53%(Vs.税金を払っていない47%)」という運動 が起きてさえいる。

こう書くと、恐らくはその「(納税している)53%」ってのを支持するのは(富める)1%なんだろう、って連想する人は結構いるだろう。しかし実際には──茶会運動にも当てはまるのだが──(富める)1%と言えるほどの富裕層ではない支持者も意外に少なくない。

自分たちが99%の側にいるって自覚してない(と言うのか自認したくない?)って見立てもできるだろう。しかしながら、勤勉に働いて自らの生活を成り立たせてきた「真面目」な人間が、果たして「税金で食わせて貰っている」人間に対して幾何かの同情を抱くだろうか?寧ろ、自助努力で頑張ってきたという自負心があるからこそ、反対に公から何らかの援助を得ることに対して何かズルをしているのではないか?という訝った見方になってしまうとも言えてしまう。そこに例えば尤もらしい「特権」とか「既得権益」とかが付け加われば、(その真偽はさて置いても)尚のこと支持してしまうのも道理ではないか。

翻って日本を見てみよう。数年前の「反貧困」は何処へやら、昨今の生活保護も(10年位前の年金未納宜しく)それこそ粗捜しの様相を呈しているが、細やかながら一財産を築いた様なサラリーマンが買う様な雑誌や夕刊紙が煽情的な報道をし、一家の家事の面倒を見る主婦が「不正」への非難を声高に叫んだりしている。そして税負担が多くなれば現実的な損得関係なく反対し、そして不正を無くせ・無駄を無くせ・先ず血を流せって主張で堂々巡り。現実に犠牲者が出てみたところで、それさえも道徳律と精神論に終始してしまうのが常だ。

自分たちは、富めるor貧しいって単純な二分法で解り易く議論したことで、寧ろ現実に対処するがための視点を見失ったのかも知れない。「99%」の中には少なからず「53%」が存在していて、先ずそういう人たちを納得させるだけの物言いを打ち立てる必要があるのではないだろうか?

【杉山真大@震災被災者】

[編集部より]
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