何故、応能負担原則が応益負担より公平な税制と言えるか
課税には「公平・中立・簡素」という三原則があります。
そのうちの一つ、「税の公平性」についてですが、いかなる税の徴収の仕方が公平だと言えるのでしょうか。
私は、応能負担を原則とするのが公平な税の徴収だという考え方を支持しますが、それは応能負担が憲法14条の法の下の平等(公平)の趣旨に沿うからです。(ちなみに「原則である」ということは「一切例外を認めない」ということとは違うので、誤解なきよう)
憲法14条の法の下の平等が実現されているかどうかを見るとき、まずは一律に同一形式で扱われているかどうかを見ることが多いでしょう。
例えば選挙権。
戦前は選挙権は男性にのみ認められ、女性にはありませんでした。
しかしこれは性差別です。選挙権は男女の区別無く、全く同じ形式で認められなければ男女平等とは言えません。
これは「形式的平等」と「実質的平等」が一致するケースです。
しかし全てのケースに於いて形式的に平等に扱えばそれでいいのかといえば、決してそうではありません。
各人には、年齢や自然的資質や職業等々、社会的・経済的その他種々の違いが存在します。このような事実上の違いを無視して一律に「形式的平等」を押しつければ、かえって実質的な不平等を招くことも往々にしてあります。
従ってその違いを考慮して扱いに差異を設けることは、「形式的平等」には反しても「実質的平等」に資することになるのです。
例えば、女性は労働条件について男性より優遇される場合があります(労働基準法64条の2~)
身障者は、劇場やスタジアムであらかじめ鑑賞しやすいスペースが確保されていたり、公共交通機関が無料になったりします。
これらを「女性や身障者だけを優遇しており、男性や健常者に対する差別ではないか」と抗議したい人も中にはいるかもしれませんが、形式的な平等にのみとらわれてはいけません。
女性は男性と肉体的構造が違いますから、労働法64条の2以下の優遇を設けなければ、男性なら大丈夫でも女性では窮地におちいることになります。
身障者も健常者に比べて移動や席の利用に限界があるのですから、公共のスペースや交通機関で健常者と全く同じ扱いではかえって不利を押しつけられることになります。優先的な扱いをすることで健常者と実質的に平等になるのです。
このように、男性と女性、健常者と身障者の違いに着目して「優遇」や「差異」を設けることで、実質的な平等を計ることができます。
何が実質的平等なのかはケースバイケースで個別具体的に考えていくしかありません。
そして、憲法14条が目指している「平等」とは、もちろん「形式的平等」ではなく「実質的平等」です。
これは税を考えるときにもあてはまります。
各人の社会的・経済的な能力や条件の差異を考慮しなければ、税の徴収に於いて実質的な平等(公平さ)は計れません。
応益負担は、富める者も貧しい者も関係なく同じ利益を受ける者が同じ金額を負担せよ、ということですから、各人の経済的能力を無視して一律に同一の扱いをする「形式的平等」といえます。
この応益負担を原則とすれば「形式的平等」を第一に貫くことになりますから、実質的平等が計られるとは必ずしも言えません。
同じ一万円の徴税でも、ギリギリに切り詰めてやっと生活している低所得者と、土地も車もたくさん所有しているような高額所得者とでは重みがまるで違うのです。消費税が数%あがっても高額所得者には痛くも痒くもありませんが、ギリギリで生活している低所得者にはその数%が命取りになります(政府の皆様にはそういう想像力がないようですが)
応益負担を原則とすれば、低所得者ほど税の負担が重くなります。応益負担は形式的に平等であっても、実質的には不平等なのです。
応益負担の最たるもの言えば人頭税だと思うのですが、これは経済的能力の違いを無視した「悪しき形式的平等」の典型です。
それに対し、応能負担に基づく累進課税では低所得者と高額所得者で税率が変わりますから、形式的には不平等といえるでしょう。しかし高額所得者は低所得者と違って税率が上がっても生活に困ることはなく十分耐えられますから、各々の税の負担の重さは実質的に公平性が保たれるのです。
従って、払える能力がある者がたくさん払う応能負担を原則とするのが、税に関して憲法14条が想定する「実質的平等」を確保する方法だ言えます。
何故応能負担を原則とするのか、それを憲法14条から導いてみました。
私達が、消費税増税や法人税減税、配当や利子やキャピタルゲインへの課税などの様々な税の問題について考えるとき、「税は応能負担を原則とすることが公平な税制と言えるのだ」という基本をまず大前提として出発しなければなりません。
なので、こんな記事を書いてみました。
【秋原葉月】
[編集部より]
このエントリは、前回のエントリ「日本の税制の不公平(1)-分離課税」の関連記事で、同じ筆者(秋原葉月さん)が執筆しました。今回の記事も、「Afternoon Cafe」(秋原葉月さん運営のブログ)にも掲載されています。同ブログもよろしくお願いします。
そのうちの一つ、「税の公平性」についてですが、いかなる税の徴収の仕方が公平だと言えるのでしょうか。
私は、応能負担を原則とするのが公平な税の徴収だという考え方を支持しますが、それは応能負担が憲法14条の法の下の平等(公平)の趣旨に沿うからです。(ちなみに「原則である」ということは「一切例外を認めない」ということとは違うので、誤解なきよう)
憲法14条の法の下の平等が実現されているかどうかを見るとき、まずは一律に同一形式で扱われているかどうかを見ることが多いでしょう。
例えば選挙権。
戦前は選挙権は男性にのみ認められ、女性にはありませんでした。
しかしこれは性差別です。選挙権は男女の区別無く、全く同じ形式で認められなければ男女平等とは言えません。
これは「形式的平等」と「実質的平等」が一致するケースです。
しかし全てのケースに於いて形式的に平等に扱えばそれでいいのかといえば、決してそうではありません。
各人には、年齢や自然的資質や職業等々、社会的・経済的その他種々の違いが存在します。このような事実上の違いを無視して一律に「形式的平等」を押しつければ、かえって実質的な不平等を招くことも往々にしてあります。
従ってその違いを考慮して扱いに差異を設けることは、「形式的平等」には反しても「実質的平等」に資することになるのです。
例えば、女性は労働条件について男性より優遇される場合があります(労働基準法64条の2~)
身障者は、劇場やスタジアムであらかじめ鑑賞しやすいスペースが確保されていたり、公共交通機関が無料になったりします。
これらを「女性や身障者だけを優遇しており、男性や健常者に対する差別ではないか」と抗議したい人も中にはいるかもしれませんが、形式的な平等にのみとらわれてはいけません。
女性は男性と肉体的構造が違いますから、労働法64条の2以下の優遇を設けなければ、男性なら大丈夫でも女性では窮地におちいることになります。
身障者も健常者に比べて移動や席の利用に限界があるのですから、公共のスペースや交通機関で健常者と全く同じ扱いではかえって不利を押しつけられることになります。優先的な扱いをすることで健常者と実質的に平等になるのです。
このように、男性と女性、健常者と身障者の違いに着目して「優遇」や「差異」を設けることで、実質的な平等を計ることができます。
何が実質的平等なのかはケースバイケースで個別具体的に考えていくしかありません。
そして、憲法14条が目指している「平等」とは、もちろん「形式的平等」ではなく「実質的平等」です。
これは税を考えるときにもあてはまります。
各人の社会的・経済的な能力や条件の差異を考慮しなければ、税の徴収に於いて実質的な平等(公平さ)は計れません。
応益負担は、富める者も貧しい者も関係なく同じ利益を受ける者が同じ金額を負担せよ、ということですから、各人の経済的能力を無視して一律に同一の扱いをする「形式的平等」といえます。
この応益負担を原則とすれば「形式的平等」を第一に貫くことになりますから、実質的平等が計られるとは必ずしも言えません。
同じ一万円の徴税でも、ギリギリに切り詰めてやっと生活している低所得者と、土地も車もたくさん所有しているような高額所得者とでは重みがまるで違うのです。消費税が数%あがっても高額所得者には痛くも痒くもありませんが、ギリギリで生活している低所得者にはその数%が命取りになります(政府の皆様にはそういう想像力がないようですが)
応益負担を原則とすれば、低所得者ほど税の負担が重くなります。応益負担は形式的に平等であっても、実質的には不平等なのです。
応益負担の最たるもの言えば人頭税だと思うのですが、これは経済的能力の違いを無視した「悪しき形式的平等」の典型です。
それに対し、応能負担に基づく累進課税では低所得者と高額所得者で税率が変わりますから、形式的には不平等といえるでしょう。しかし高額所得者は低所得者と違って税率が上がっても生活に困ることはなく十分耐えられますから、各々の税の負担の重さは実質的に公平性が保たれるのです。
従って、払える能力がある者がたくさん払う応能負担を原則とするのが、税に関して憲法14条が想定する「実質的平等」を確保する方法だ言えます。
何故応能負担を原則とするのか、それを憲法14条から導いてみました。
私達が、消費税増税や法人税減税、配当や利子やキャピタルゲインへの課税などの様々な税の問題について考えるとき、「税は応能負担を原則とすることが公平な税制と言えるのだ」という基本をまず大前提として出発しなければなりません。
なので、こんな記事を書いてみました。
【秋原葉月】
[編集部より]
このエントリは、前回のエントリ「日本の税制の不公平(1)-分離課税」の関連記事で、同じ筆者(秋原葉月さん)が執筆しました。今回の記事も、「Afternoon Cafe」(秋原葉月さん運営のブログ)にも掲載されています。同ブログもよろしくお願いします。
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